獅子舞 |
演舞・所作・特徴 |
良川 |
祭礼時には神の露払いとして渡行し、獅子舞にはベッサイが随伴。
百足獅子で演舞は越中系である。
戦前まで獅子殺しを入宮等に行ったが、現在は天狗と獅子殺しとの舞いが主となる。 |
黒氏
(くろじ) |
神の露払いとして渡行し、明治34年氷見吉岡より伝習するという。
祭礼時、入宮後天狗の獅子殺しには藁を燃やし、百足獅子の演舞は1時間以上にわたる。 |
一青
(ひとと) |
白獅子といい、古来子供獅子だったが、昭和初年、氷見谷屋より伝習するという。
神の露払いとして渡行し、演目は12種類にわたり、獅子殺しは「にらみ獅子」といわれ、注視される。
一説には往古沼池の蝮と人間の戦いから、とくに獅子殺しの芸態を編み出したと伝えられる。 |
末坂 |
神に奉納する獅子舞といい、越中系獅子である。
入宮時には獅子殺しを演舞する。 |
羽坂 |
越中百足獅子系で明治年代より行われているという。
祭礼時、入宮には獅子殺しが行われ、神輿の露払いとして巡行。 |
新庄 |
越中獅子系で、明治28年頃伝ったといい、越中バヤシに「越中」が唄われる。
演目は多く8種類に及び、戦前まで獅子殺しを主体としたが、現在はヨソブリで終わる。
際礼時は神の露払いとして渡行、ニワカ演技に大太鼓打ちが出る。
伝えに大神の平定に際し奉納するといい、畠山落城のかぶとを天狗がまとう習わしだったという。 |
廿九日
(ひづめ) |
子供獅子で祭礼時、神の露払いとして渡行し、獅子舞にベッサイが随伴。
演目は5種類で獅子と獅子の舞が主で、東三階より60年前に伝わるというが、戦後、越中獅子を清酒忠太郎が伝え、道中唄が若い衆にうたわれる。 |
川田 |
黒獅子といい、天狗と獅子の舞が主体で、とくに獅子のにらみに芸を練るという。
越中百足獅子系といい、神輿の露払いとして巡行する。 |
大槻 |
赤獅子といい、古来より獅子舞は行われていたが、由来等は不明。
戦後 蜂ガ原より伝習、越中獅子系である。
祭礼入宮時に獅子殺しを演舞して終わり、祭礼時は神輿の露払い。 |
春木 |
赤獅子といい、 祭礼時神の露払いとして渡行し、天狗と獅子の舞が主で、 ベッサイが随伴する。
芸態は大正6年までゆっくりつした舞だったが、その後高畠から伝習し、越中獅子系という。
一説には江戸後期に肝煎役の奉納獅子ともなっつたという。 |
瀬戸 |
越中獅子系で天狗と獅子の舞が主である。
演舞は5種類で「オートキタ」の掛声で獅子を討って終わる。
祭礼時は神輿の露払いとなる。 |
花見月 |
子供獅子で、雄獅子といい、明治初年七尾より伝わると言うが、現在は越中懸札から伝習した演舞で、演目は10種類。
祭礼時は神の露払いとして巡行し、20年前まで入宮時に獅子殺しをしたが、現在はなし。 |