日付
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行事名
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内容
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1月1日
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新正月
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早朝大産土神である鳥屋比古神社に参拝、真宗門徒は寺もうでをし、1日冬仕事を休む。この習俗は他地区とも大体同様。
一青では四時頃区長が産土神に参詣、神楽は氏子中から勤め当番は御馳走と年酒を出し区民は年賀の挨拶をかわす。
町の有志は学校の講堂で新年の祝賀会を催す。
二十九日では2日に公民館で青年団婦人会のカルタ会を行う。
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1月3日
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手間神社新年祭
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42才の初老と61才の還暦の者が御酒や御花米を持参して宮参りする。初老の者はその晩親戚一同を招いて内祝をする。近年は青年男女も参拝している。
川田ではこの日公民館で区の総会をひらき年中行事等を決め役員の改選をする。
瀬戸では2日・3日に若衆の総会がある。
末坂では5日に産土神白山神社で祈年祭、同6日に消防手の出初めがある。
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1月14日
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左義長
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15才の子供が長となつて区内から藁や竹をあつめ、タ刻これを組みたてて焼いた。戦前まで行われたが今はなくなってしまつた。この時過去一年間に嫁をとつた者は小遣銭を子供に与える例である。旧正月のところは左議長も二月である。
良川では戦前まで地頭・北・沖の三区にこしらえ、書初を焼いた。またこの火で焼いた餅を食べると腹痛をしないと言われている。
黒氏では10日から16日にかけて本願寺院ではお七昼夜を営む。戦後1月15日が成人の日であることは記すまでもあるまい。
なお区の万雑割は新成は旧正月中に行われている。黒氏では1月の中旬、同25日にほ深沢の割当があり、末坂では25日、花見月は25・6日頃に行っている。
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1月29日
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旧正月
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餅つき 本地方も旧正月が依然として盛んである。
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1月31日
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大年
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前年下半期の決算支払などがある。
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2月1・2日
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旧正月
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雑煮を食べ年頭を祝い休業する。
良川あたりにはもとは1日の未明頃提灯をつげたフクトクが門々に立ち「やーら、たのしやな」と緑起のよい文句を唱え、主人は無言でヤク除けに米や金銭・酒等を与えたという。
1日は宮参り、2日は寺参りをしている。子供連中のナイゾメは2日(3日のところもある)で同年の者が7・8人宿に集まつて藁縄をなうのである。持寄りのアゲメシをつくり餅を食べて夜通し談笑して過したが、今はカルタ会などに代って来た。
良川や一青などでは年始としてヨボジ親・オハグロ親などへ年頭のあいさつに行く。
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2月4日
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棚さがし
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お正月の餅や御馳走は残っとらんかと棚さがしをする謂だという。いよいよ仕事始めとなる。
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2月5日
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面ぶつそう
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正月も済み、いよいよ仕事にかかるところからフクレ出すという謂で、この地方に広くわたっての様である。行事はない。
新庄あたりで6日を年越と称している。
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2月7日
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七草と初寄合
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朝は七草雑煮を祝い半日休む。初寄合では区の一ヵ年行事や事業を決めたり役員の改選などをする。前年度の決算の承認もある。羽坂の弘願寺では、この頃から祠堂経会が始まり、真宗門徒は参詣する。
黒氏の初寄合は2月17日、一青は15日、末坂は11日、大槻は7日、瀬戸は5日にしている。
新庄では昭和14・5年頃までは七草の日に青年が在所を廻つてオボクサン米を集め、宿でそれをたいて仏前に供え、お参りの人々に一口ずつ戴いで貰う習慣があつた。
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2月8日
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針せんぼう
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針供養の日だと云われ、女児の多い家では引粉のオヤキ饅頭を作つたりしたが今にほとんどしない。
一青では団子を作つている。良川の如く1月8日のところも少くない。
針をもつ職人仲間では休業する。
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2月11日
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ごけっしゆう
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行事にない。由来についても知る人がないが、あるいは舟祝いの日だと云い、作業を休むところもある。春木や新庄でも行つている。
良川あたりでは雑煮を祝う。
春木の奥の坊でほこの日白山お講を営む。奥の坊の全世帯が親子の組をつくつて七年毎に宿をうけもち、林照寺より旧本地仏を奉遷して法要をつとめ会食する。一にうどん会ともいう。
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2月15日
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さつき
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朝食前に苗を束ねるノデワラを作り1日休む神仏に引粉の団子(イナカブダゴ)を供える。囲炉裏を清める。この日行儀が悪いと5月田植の日天気が悪いとか、苗代に雀が入るとか言われている。また柿の木 に小豆雑煮の汁を供える。
黒氏では大サツキと称して小豆雑煮を食べ。今年の稲株の大きくなることを祈る。
新庄でほサツキの日といって稲株が大きべなるよう大きな餅をこしらえる。
春木では、この日苗をたばねる苗手藁をうち、牛馬に小豆雑煮を食べさせ、鍬・釶・鎌などを座敷にあげて団子を供え、柿の木に釶目を打ち、これに小豆雑煮汁を流し込む。柿が豊作になるというまじないである。
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2月16日
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釜のふたあけ
(ヤプイリ)
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もとは奉公人や嫁婿は里に帰つて休んだ。嫁はこれから1カ月里にいた。チヨウハイと称する。
大工・畳屋・壁屋・瓦屋などはこの日太子講を行う。
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2月20日
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鍬おろし祭
(祈年祭)
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産土神手間神社で行う。特殊神事はなく、農事始めにあたり五穀豊穣を祈るのである。牛後休業。
良川あたりでは20日正月と称する。
鍬おろし祭は、神社では祈年祭と称し、各社ともそれぞれ日を定めて厳修している。
一青で低この祭に42才厄年の者の祈願がある。
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2月中
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壮年団総会
若衆報恩講
かか御講
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何れも定日ほなく適当な日を選んで行う。若衆講は、壮年団主催のもので、部落各戸から蝋燭料が出、有志の家を会場として法要をつとめる。各戸一人宛参会する。明治以前から存するものだという。かか御講は日露戦後設げられたもので、婦人会主催で部落の婦人ばかりより成るもの、弘願寺を会場とする。
若衆講は他区にも多い。大槻は6日、川田は8日、瀬戸は20日、二十九日は10日に行い、輪番で宿をして僧侶の説教を聞き会食するのである。
春木は3月1日林照寺で行い、全世帯から蛾燭料をあげてお参りする。なお、2月中に若衆の素人演芸大会の行われるところも少くない。
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2月中
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口祝
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ヨボシ子や職人、またはオハグ口子を親分や主人が招待するものであるが、戦後はなくなつた。
良川でほ2月中、一青は1月中にした。
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3月1日
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三重ねの正月
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重ねの正月と称するところもある。
黒氏では重ねの1日という。餅などをついて業を休む。
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3月9日
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山祭
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大工や木挽等材木を扱う人々は休業する。
新庄でもこの日は山へ行くと危険だといつて休業して居り、二十九日や瀬戸では山仕事をする人々が集まって慰慰労会を催して休養している。
なお、二十九日では、3月8日を田祭といつて田の神様が田へ種まきに下られる日だとして赤飯をこしらえて祝つている。良川や新庄あたりでもこの伝承が残つている。
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3月15日
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涅槃
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真宗門徒以外の家々では、涅槃団子を作り仏前に供え、また雑穀飯をこしらえるところもあつたが、現在は殆ど見られない。
一青では寺参りをする。団子まきがある。
末坂では観音堂(禅宗と真言宗の人々が発起して建立したもの)で田鶴浜の三引の曹洞宗亀源寺の住職によつて法会が行われ団子まきもある。
春木でほ全世帯より一握りの米を出し、当番組が団子を作つて薬師堂に供え、読経の後、堂の屋根上から撤く。この団子を拾って帯にむすび常時携帯すればマムシに噛まれないという。
なお一青では5日に祠堂経会、17・8日に報恩講がある。
末坂でも15日から22日まで8日間西永寺で祠堂経会がありお参りする。
大槻の祠堂経会は4月10日から20日まで、
黒氏は同じく10日から16日まででオカツゴ(米)と蝋燭銭を持参してお参りする。
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3月21日
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中日様
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彼岸の中日で、一般に午後休業して寺参りする。この日さし木をすれば必ずつくというのでこぞってさしきをする。
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3月22日
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おもどり
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能登の一宮である気多神社の平国祭(おいで祭)のおもどりで、これを祝つて休業する。鳥屋町はその神幸の道筋にあたる。
この日神輿は新圧に入り、羽坂で御招待、四辻附近で射失神事があり末坂(御招待あり)・一青(御招待あり)・黒氏を通過して良川の白比古神社に駐泊する。人々は巡幸の道を清めて盛砂をし、初穂を供えて敬拝する。この地に嫁いで1年以内の者は近隣や親戚へ饅頭を配る慣習があつたが近年に廃せられた。なお、おもどりの神馬の毛色によつて年の天候をトする習俗があつた。黒馬だと雨が多いというので水不足の新庄あたりではこの馬を望んでいる。寒さもおもどりまでと言われ、やがて春暖に入るのである。
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4月3日
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節句
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草団子や菱餅を作り、神仏や雛人形に供える。
新庄では、この日を女の節句と称し、お嫁さんの里帰りとなつている。
春野菜の種まきを始めるのはこの頃からである。
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4月7・8日
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春祭
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産土神手間神社の春季祭で、もとは4月14日に行つた。餅を搗き親戚知人を招いて饗応する。神輿の渡御があり、区内の有志は御招待する。
春祭は良川が4月18日、黒氏は4月15日、一青は4月14日、末坂は4月19日;新庄は4月16日、二十九日は4月9日、川田は4月1日、大槻は4月12日、春木は4月13日、瀬戸は4月11日、花見月は4月9日である。神輿の渡御、獅子舞で賑わい楽しい時を過す。花見月の獅子は有名で、ヤツブジ・ギヨンブリ・シツチョコサン・メンカブリ・キヨウプリ・ぺイガエシ・シシコロシ等種々ある。
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4月10日
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十日祭
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本地方の惣社である鳥屋比古神社の春祭で、末坂・羽坂・春木の宮本三区に神輿が渡御する。
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4月
初ー中旬
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江掘り
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区民総出で部落の用水の塵挨をさらえ川底を深くする。本田の仕事始となるので年中行事の最たるものである。水田の種まきはこの頃に行う。
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5月14日
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七尾青柏祭
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老若男女休業して七尾へ七尾へと大地主神社春祭の曳山見物に出かける。臨時列車もたつのである。
この日は田植前の中入時で、一服の好機である。人夫賃などの中間支払もこの頃する例である。
なお5月8日に、黒氏では神社で火祭がある(良川では15日)。明治21年大火後のことで、組毎に鏡餅・神酒等を供えて直会をし、更に当番宅でも宴を行う。これより先7日間、各組毎に順番で湯をわかして互につかいに行く慣習があり、火祭当日が最終日なので、この日を一に湯終いと称している。
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5月20日
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田植始まる
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この地方ほ5月中旬から6月上旬にかけてイイ(結)によつて行う。3食とも振舞つだが現在は廃せられた。田植に枠を用いるようになつたのは30年程前からで、それまでは八株毎に縄を張り一つの間に2人入つて後さがりに植えたという。田の草取りは6月初旬よりイイによつて数回行う。
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6月5日
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菖蒲の節句
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男の節句ともよばれている。田植も終った頃で半日休む。一般に菖蒲湯をわかす。粽を作つたり菖蒲や蓬を屋根にさしたり鯉のぼりをたてたりするところもある。
一青では草餅をつくる。
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6月18日
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春木奥の坊の白山社祭を講中で営む。
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6月20日
前後
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田休み
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笹餅をこししえ田仕事の骨休みをする。嫁の里帰りがある。
瀬戸ではこの日表祭を行い田休みである。この頃麦刈りが終つている。
新庄では田休みに親類やイイの人々をもてなす。
大槻では西の宮で長楽寺の説教がある。
一青では6月上旬に農道の修理をする。
二十九日では6月下旬虫おくり(除蝗祭)をする。戦前には、徳田の若衆から子供連中が除蝗祭と記す紙片を附した青竹を鐘や太鼓で囃しながら持つて来て田圃の中心にたてたという。
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7月1日
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いり三盆
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半日休みで豆やアラレを煎る。
黒氏では氷室と称しイリ米を作り七尾の光徳寺(真宗本願寺派)へ詣る。
新庄でほ7月10日に光徳寺参りをする。
大槻では7月1日にコンゴ参りをする人が多い。コンゴ参りの期日は寺院によつて異る。
末坂では5日から10日まで祠堂経会があり;7月7日は魂迎法会がある。
なおコンゴ参りは8月6月一青の慶英寺にもある。
黒氏は8月7日で魂迎会と称し死亡した両親に対面するのだという。なお、黒氏では7月11日から20日まで別行があり、祠堂経会の場合と同じく参詣の時オカツゴや蝋燭銭等を持参する。
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7月15日
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祇園集
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産土神手間神社の境内社である祇園社の祭で胡瓜の初なりを供え、当日は胡瓜畑に入ると厄病にかかると云われている。
この日春木では部落の主催で林照寺に於て追善講を行う。過去1年間に死亡した人々の霊を迎えて追善のお講を勤めるのである。
また一青では7月4日麦祭を行う。被合祀社諏訪神社の祭で、餅を搗き親類縁者を招いて休み、夜は踊を催す。
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7月24日
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地蔵祭
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羽坂区には霊験顕著を以て知られる三つの地蔵がある。 四ツ辻地蔵・藤の地蔵・鍋のつる地蔵で、毎年一地蔵ずつ祭を営む。能登部の長楽寺がこれを勤めている。因みに本地方には路ばたに安置される石仏の類が多く、それぞれ信仰の対象となつている。最も多いのは地蔵であり、その他観音・薬師・不動・虚空蔵等その種類も少くない。
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7月31日
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おすずみ祭
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鳥屋比古神社の納涼祭で1日休業。餅などつぎ参拝する。タ刻神輿の渡御があり奉灯も出る。もとは宮本三区青年団で盛んな盆踊があつた。
おすずみ祭は、良川は8月9日、春木は8月7日、瀬戸は7月24日(築山を作り人形を飾つて盆踊りをする)に行われている。
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8月7日
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七日盆
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先祖の墓掃除を行う。またこの日少年が各戸より石灰の空俵をあつめて少年角カの土俵を作る。
春木の天神社の薬師堂に千日講あり、長楽寺これを勤め、一同西国三十三番の御詠歌を唱える。奉灯をかかげて頗る賑い、踊を行う。
また黒氏の魂迎会等は前述した通りこの日に行う。
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8月13日
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むかえ盆
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真言宗では、この日のタ方先祖の精霊迎えに墓参したが、現在は一般と同じく14日にする者が多い。
昔から貸借の精算期はこの日までであつて、今も万雑割はお盆までに納めねばなしないとされている。なお8月上旬に万雑割があり上半期に於げる経費の割当をする。
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8月14日
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お盆
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早朝に二駄草川の習俗があつだが現在はない。餅などつきタ方墓参する。寺の前や踊場で盆踊をする。老若男女参加するが若人が多い。サシオドリ、チヨンガリ・アオタアサガエシ・ノジタや忠臣蔵などのダシモノをしたが今は越中オハラやオケサなど全国共通のものに変わっでしまった。
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8月15日
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おや盆
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タ刻墓参し、夜は盆踊がある。
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8月16日
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おくり盆
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朝精霊を送り墓参する。
一青では嫁の里がえりと称している。
末坂では、お盆3日は西永寺にお参りし夜は盆踊、17日は観音堂の千日講、夜は盆踊がある。
新庄の盆踊は15・6日だが、戦前は14・5・6日の三日間であり、40年前は14日から20日まで踊つたという。
川田では8月14日に角カ大会をしたが近年は行われない。一体に角カは明治から大正の初期頃までが全盛だつた。ここでは18日観音祭に踊り場で盆踊をする。
瀬戸では13日に少年団が築山を万原・面手・若狭見につくり二間の奉灯で瀬戸中を巡り、15・6日に青年団の総会がある。8月初旬には青年団・青年会で海水浴にゆく。
花見月では8月7・8日に万雑割、お盆の15日には教専寺に参り、三尺四方高さ九尺余の奉灯をたてて盆踊は一段と賑いを添える。また大工職等が太子講を営む。
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8月20日
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二十日盆
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半日休む。今は名のみである。もと13日から20日まで毎晩老若男女の盆踊があり、唄は芝居のダシモノの文句によつたが、今でほその音頭取もなくなつたと云われている。
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8月中
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別永代祠堂経会
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弘願寺で行われる。もとは15日間だつたが今は7日間。
8月27日には川田と、瀬戸ではお諏訪祭は7月27日である。
なお川田の白山神社の例祭は8月18日である。
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9月1日
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八朔の一日
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今は名のみとなったが、昔は草相撲があつた。
新庄ではこの田地蔵祭を行う。地蔵様安道の日だと伝える。ここの臼池は弘法大師の枝の跡だと云われ、年中渇水せず、この日、この水で風呂をわかすとよいと伝えられている。
なお黒氏では9月2日に招魂祭を行う。日露戦役後一年も欠かしたことがない。
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9月10日
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十日祭
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鳥屋比古神社の秋季祭である。この頃から稲刈りがはじまる。
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9月24日
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彼岸中日
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お寺参りをする。
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10月9日
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ばば節句
(重陽節句)
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オハギ等をこしらえて仕事を休んだが、今は秋の取入最中で休みなしである。
能登部の長楽寺では無縁経祠堂経会があり、真言宗の人々は参詣する。
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10月19日
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御取リ越し様
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弘願寺で行う。19日夜あかし参詣したが今は12時頃まで勤める。
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10月20日
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報恩講
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黒氏では10月4・5日が大谷派寺院で、11月4・5日が本派寺院で報恩講がある。
一青は10月17・8日、花見月は10月25日というようにそれぞれ行われている。
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10月30日
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秋祭
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産土神手間神社の秋祭である。もとは9月14日が祭日だったが最近変更したのである。
ついでに本地方の秋祭を記そう。良川は9月18日、黒氏は9月15日(9月10日を宮ぶしんと称し鳥居の注連縄を新しくとり替え、神輿渡御の道路を清掃したりする)、一青は9月13日、末坂は9月23日、新庄は10月17日(もとは9月17日)、二十九日区は9月27日、川田は10月1日(川田では9月下旬に鯉つかみがある。大池に飼育の鯉をつかみに在所こぞつて池の堤に集まり宴をひらいて楽しむ。池水も減つており秋祭りの御馳走にもなるからだという)、大槻は10月26日、春木は11月1日、瀬戸は9月11日、花見月は9月24日である。
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10月
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なおの行事として、10月15日には鳥屋学園の運動会がある。
新庄では10月20日頃がカリンテで稲の刈り終りを祝つて赤飯をこしらえる。
瀬戸では10月末頃に若衆の魚釣会などをする。
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11月3日
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七尾愛宕山明治記念相撲
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老若相たずさえて七尾に行き一日を休む。この日がまた農家の一精算期でもある。
新庄では七尾の光徳寺参りをする。子供達を遊ばせるのである。
もと小作の年貢は、貢納は11月の愛宕相撲の日まで、金納は翌5月14日七尾青柏祭までに納める例だつた。
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11月23日
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収穫感謝祭
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戦後の行事で、町の公民館主催で通常学校で農産物品評会や慰安演芸会を行い、半日休業して参加する。
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11月30日
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庭じまい祭
(刈上げ祭)
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野良仕事も一段落したので収穫感謝の祭をする。神社では新嘗祭とする。嫁に出ている女も里帰りをして餅をついたりして祝うのである。
一青は12月3日、みこされ祭と称している。黒氏は12月4日、末坂は12月1日、新庄は11月20日、二十九日区は11月21日、川田は11月26日、大槻は12月6日、春木は11月27日、瀬戸は12月9日、花見月は12月1日に祭典を行っている。
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12月8日
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ふいご祭
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鍛冶屋の祭である。
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12月8日
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針せんぼう
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針供養の日であるが、今は名のみとなつている。もとは団子をこしらえ、木で作つたハンコをおしてお針の師匠の上ころへ持参する。団子の上に針をさすのが例だつた。
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12月9日
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山祭
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木材を扱う人々の祝祭で、春の山祭よりも盛大に行っている。
良川・一青では10月9日にも行つている。
なお黒氏では12月4日を田の神様のおあがりとして五穀豊穣を謝し、神社では新嘗祭を行う。良川あたりでも、田の神が山へあがられると伝え、もとは赤飯をこしらえた。
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12月13日
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鵜祭
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能登一宮気多神社鵜祭の鵜一羽が鵜浦(今、七尾市に編入)の鵜取部に担がれ、タ刻良川の鵜家氏に至り座敷に一泊する。あらかじめ屋前の小池に用意した鮒を与える。翌14日朝出立、白比古神社で修祓をうけ金丸より一宮に向う。
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12月24・5日
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お七書夜
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もと1月に行ったが、今は1月早く勤める。宗祖報恩謝徳の法会で門徒はみな参詣する。
黒氏で低12月1日から7日まで行つて居り、
一青では12月24日に若衆御講・とと御講・あま御講がある。
なお12月から3月にかけて、真宗の門徒の家々では、報恩講・忌法要等を勤めて一年の報恩謝徳の意を表わしている。
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12月31日
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大歳
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新年を迎える準備、これより先餅掲や当番組による神社の大注連絶つくりなどがある。除夜の鐘を聞く。
大槻のように若衆が鐘つぎをするところもある。
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