452.ムジナに間違えられた坊主

一青    鳥畑  茂三

  ドスが原はさみしいところやった。黒氏の長池があるやら、徳前のサンマイがあるやらで、そして木が茂っていて、ムジナが出るわ、狐や出るわで嫌なところやったわいね。
  そこで徳前の若衆が、何が出るがか見てこまいか、というて夜中に行ったげと。サアでたじゃ、こいつやじゃ、ということで取り押さえたげと。
「われやる毎晩でて人をいじめるが」
「や、ちごう、ちごう、おらでない。おら最勝講の寺や」とさけんだと。和尚は門徒の報恩講にいってよばれて帰るところやった。たまたまドスが原へきてもよおしたもんで、陰へ入って用をして立てったところを、若衆につかまったげと。そして
「われやがい、毎晩出ては、わるいことするが」といって仲々おさまらない。こりゃ、おらこんなことしとったら殺されてしもうじゃ、と思った和尚は、
「ほんとは、おらや、こんでせんさかいこらえてくれ、その代りに、わらちに笛を一本やっさかいに、わらっちや欲しいもんを三べん言うて、この笛を吹け、そしたら、かならずその願いが、かのうわい」と言うたと。そしたら若衆は、そんなおもっしょい笛ならどんなもんや、ほんなら今夜はこらえたらんか、ということで、和尚から笛をもろたげと。そやけども、この笛吹くときゃ誰れもおったらだめやちゅうげ、その次の晩、何もろおうやとみんな相談して、何ちゅうこっちやない、夜遊びに行く金ちょっこしもろわんか、ということになり、そりや面白かろう、ほんでも誰れもおらんところに言わにゃだめや、こないに人ぁおったらだっちゃんと言うさかい、みんな隠れて一人残ったげちゃ。それをうちの者が見とった。
「うちの兄ちやん、何しとるがいや」というわけや、他のもんないわんとかなということで、その明日の晩も、次の日の晩も笛吹いてみたが、何んも出なんだと。景勝講の坊さんに、徳前の者衆がだまされた。

(参考)

(鹿島郡誌より)

  七、八十年前景勝講の住持が夜遅く七尾より帰ると、徳前河原(どすがはら)の竹叢にて用を便ぜるに、通りかかりし臆病者が死物狂いとなりて住持を引捕い、おのれ狐め我を化かさんとするかいで一撃にと担い棒を振り上げしに、住持は我は狐にあらずしかしかのものなりと言い聞かせたるが、住持の言訳も聞かばこそ、おのれ古狐め猶我を化かさんとするかと烈火の如くに打ってかかるに困じ果てたる住持はここに一策を案じ、言葉静かに我は汝の言の如く此の河原に棲む古狐なり以後決して人を化かさざれば生命だけは助けてくれ、助命のお礼に汝に福徳を与うべしとて、子供の土産に買い求めたる三文笛を懐中より取り出し、汝若し一文を得んと欲せば一文と唱いて笛を吹き二文を得んとせば二文と唱いてこれを吹くべし、財宝如意とぱかりに財布より文銭を取り出し、一文ピイ、二文ピイ、五文ピイと闇の堂に銭を渡し生命拾いをして寺に逃げ帰りぬ。臆病者は翌朝に至り、妻子を退け独り座敷にて一文ピイ、二文ピイと吹き試みしが銭の出つればこそ、之も狐にばかされしなりと疑いつつも、もしやと心づき恐る恐るその寺を訪いしが、住持は前夜の一部始終を語り聞かせけるに男は面目なしとて打ちわびつつ逃ぐるが如く立ち去りたりという奇談あり。