440.天狗の話

瀬戸    池島  つや

  七原の寺の後に池がある。そこに松林があるが、そこに昔、天狗様がおったぎと。そやもんでみんなそこを通るがを嫌がったけど、お仏供様を食べていけば大丈夫やちゅうことやが、それから涅槃団子を腰に着けていけば大丈夫やし、狐にもだまされんし、天狗ぁつかんちゅうたわいね。

(参考)

天狗の俗信

(鹿島郡誌より)

  天狗は恐るべき魔物として一般に信ぜられ、天狗にさらわれしとか、さらわれたるもの、股より引き裂かれ木の股に引き懸けられしものありと言い伝えられ、神隠しはすべて天狗の所為なりとせらる,天狗は一面懲悪の神として畏れらるるが、天狗面をつけ白装束にてとある峠の松に聟を脅し娘の復縁を逼りしものありと伝うるもこれがためなり。
  天狗は酒を嗜むものとし夜中酒倉に入らんとするときは必ず掛け声をなすべきものと戒めらる。天狗のつきし酒は芳醇佳味腐酸の恐れなしとす。旧家の老樹は屡々天狗の棲處と称せられ、その座敷の一室は深夜天狗の来たりて酒宴を開く場所なりといい、之を開かずの間という。
  打切りなしという天狗の太鼓、或は天狗の千本切は之を聞きしというもの少からざるのみならず、或は老松の梢に或は堂塔の軒場に朱面猪鼻の姿を見しというものさえあり。
  天狗は火なぶりを好み火災の折り、火鳥となりて火をまき散らし火勢を大ならしめ以て自らを快とするものと称せらる。囲炉裏の火は深くいけ火箸を斜めに立て、仕まつするものとせらるるは天狗の火なぶりを防ぐがためなり。
  天狗の笛太鼓の音を喜ぶに反し、鉦と拍子木を嫌うこと甚しとす。夜廻りに拍子木を用い、迷子を探すに鉦を用い、山小屋にて笛尺八の類を厳禁するは之を嫌わしめ、或は其の来るを防ぐためなりと信ぜらる。また夜口笛を吹くと天狗が来るといい之を忌む。