426.刑部と左近と万仁与門

大槻    豊蔵 茂

  刑部と左近と万仁与門の三人が一緒に京都から来たらしい。この三人が鍋の足になって別れておるまいか、といって新庄にと、川端と、文蔵口に別れて住まいすることにして、いくらかの作り高を持って暮らしていた。
  刑部はもと兼好法師の系列で、万仁与門は武士であり農民であった。豊蔵の先祖であるが、もとは丸山といっていたらしいが、明治になって豊蔵になった。豊蔵の本家のところに丸山がある。
  左近サの屋敷が川端にあったし、刑部は新庄であった。