418.川の氾濫
川田 守山 重信
よう二宮川が氾濫したもんや。羽坂、新庄、大槻、川田の川土提がよう切れるがで、毎年のようにどこか切れたもんや。だから年中どこかで杭打ちがあった。子供のとき、杭の皮をむくと銭があたったし、玉石あげすると小道い銭があたった。戦後、床をコンクリートにしたり護岸をしたもんでいいがになった。
水の圧力ちゅうもんなひどいもんで、石塚川の氾濫したときでも川田の橋のところまで護岸できとるげ、そこから下はできとらなんだら、見る見るうちにこけていくげね。もうカミソリくらいになってしもう、そして倒れた。山の方も砂防工事をしたもんで氾濫しなくなった。
「類話」
今羽坂の川が切れたとき
今羽坂 坂本 正次
二宮川の今羽坂側のところに、キリショちゅう小さい川がある。その所の二宮川が大水のときに川土提が切れたことがあるとい。そん時に田鶴浜の方から人夫がでかいこと来たき。そしたら今羽坂十二軒しか家がないもんで、自分らちや川普請をするどころか、人夫の小昼や昼の用意するがにきりきり舞やったとい。小さい在所やもんでね。