409.湯じまいと火祭

黒氏    平野 晶平

  昔、黒氏に大火があった。そこでどこにでも火を燃やすと火事のもとや、火を大事にせにゃならんということで、農繁期の忙しい最中には、どうしても火が粗末になっさかいにね、湯を沸かす家を一軒決めて、それを順番に回すがに決めたげちゃ。
  田んぼの荒田起しが始まると、湯番が始まり、さつきがどこかのうちに始まると湯番が終わった。
  よその在所には田休み祭りがあったり、お涼み祭りというもんがあるが、黒氏にはない。そこで、田植えも全部終わったころに、みんな集まって、その祝をしまいかということになって、「湯じまい」の祝が始まつたので 娑婆変わってしもて湯番がなくなってしもたれども「湯じまい」の祝だけが今も続いている。
  湯番があったときは、湯番の家に集まった子供らは昔話や笑い話を聞くよい場所やった。
  「湯じまい」は、前は五月八日だつたが、今は六月八日に行っている。法泉寺など十八軒も焼けた大火は、明治二十一年六月八日で、彦助火事といっているが、この六月八日をとって「湯じまい」として、火を大事にしようという日にしている。
  だけど火祭りと間違つて湯じまいを火祭りやと思うとっての人もいる。火宮様の祭りは六月二十日で、いま火宮様が八幡様に合祀されているが(明治四十年十一月合祀)、おらっちや子供のとき、ボウダラの所に火宮神社があった。

「類話」

ようじまいの火祭

黒氏    平野  すず子

  百年前の五月八日の、黒氏の大火の戒めの祭りの呼び方が「ゆうじまい」と言われているが、「湯じまい」のことを言う。「ゆうじまい」ではなくて、「ようじんしまいか」のことを「ようじまい」ちていうたがが、「ゆうじまい」になっとるが、本当は「ようじまい」ちゅうぎやといね。