407.盤持ちの話ー盤持ちのおこり

黒氏    平野 晶平

  盤持ちについて黒氏に伝わっとる話やが、昔は年貢米を加賀藩へ納めとったが、ここから金丸の蔵元までどういう道を通って行ったか知らんけど、お蔵の船着場まで米を馬につけて運んだもんや。その年貢米が蔵元まで運んで、その納まるか、納まらないかは百姓にとっては命がけであった。もし納まらなんだら、百姓の食べる米をけずってでもして納めねばならなかったもんでね。
  その日まもうみんな肝煎の家へ集まって、その納まるか、納まらんか、その様子を待っていたげ。村外れに高張りを出して帰るのを待っていたげちゃ。そうすっと、どこか浅井の辺から「納まったぞー、納まったぞー」と、それが伝令のように次々伝えられてきたわけや。
  待っていたみんなは喜んで、庭では手を振って踊ったとい。そして「祝酒やぞー」といって茶碗酒で祝ったもんじゃ。その飲んだ勢いで「よし、そんならカ比べをやんまいか」と言って、そこにあった米俵のかつぎ比べをしたのが盤持ちの始まりやと。年貢の納まった祝で始まったのが盤持ちやが、その後、米俵やったら、どこかのうちへ行かにやならないし、若衆がタ涼みがてらに集まって、力を競うときには米俵というわけにいかんさかい、石でやるまいかいということになって、カ持ち石が盤持ち石と名付けられた。
  今でも踊り場にあるが、もとは力持ち石とか、お旗木石と言うたもんや。あの石ももとは盤持ち石でなくて、お旗木石にしていた。あのお旗木石をかつがれっかといって使われるようになって、いつのまにやら、それが盤持ち石と言われるようになったげわ。

「類話」1

盤持ち

黒氏    横山 勇吉・宮島  清七

  盤持ちは藁の台を作ってその上にむしろをかむせてした。二斗五升の俵を二個しばって始めた。五斗をかつぐげやが、最高は一石までやったが、一石ちゅうのはちょっとおらなんだ。こんな盤持ちは昭和十二、三年頃でなくなった。
  川田の守山らは、どこの兄んさかわからんように、ほおかむりをしてやってきたもんや。五斗かつぐことで若衆としての一人前にさしてもろうた。

(類話)

廿九日    北原 栄吉

「類話」2

盤持ち石と大米

一青    鳥畑 茂三

  盤持ちは、夏タ涼みがてらにようやった。「これ肩ねられっか、肩ねられっか」というてようやった。これは五斗石、六斗石、八斗石とかいった。
  それから大米ちゅうて、秋じまいになると、人のうちかって持ち回り宿にしていたが、ちゃんと藁の台をこしゃいて、五斗俵から始めた。四斗俵二つしばって八斗かたねた。八斗はたいていかたねたが、八斗五升になるとおらなんだ。五升の目方が大変やった。大関をとると酒二升あたった。
  小学校の子供にも二斗俵を作ってかたねさせた。 宿は「今年やどこにすっかいや」と若衆が決めてオヤッサンの家を持ち回りでやった。大根や油揚げをでっかい鍋にたいて、飲んだり食べたりした。大米の日は楽しみやった。