392.阿弥陀様の眼鏡

良川    千場  つき

  あるところに、仲の良いお爺とお婆がおいでて、それが何と欲な人らちで、ご飯をあがるときご膳に小皿二つだして 今日ぁ刺身にしまいかて 刺身代七百円なら七百円の銭をのせ おつゆぁわかめとえんどうやさかえ三円か五円汁椀に入れ、さあ食べまいかいて食べたつもりになり、ご飯が済んでから、ご膳の前においてある壷の中へ銭をジャラジャラと入れ、「ごちそう様うまかったわね」て、つつましい生活をしておったと。
  こんだあ、お伊勢参りをするがに二人で約束して、楽しみにしておったそうや。
  ところが、お爺ぁ急な病で死んでしもたげぇ。死に際にお爺ぁお婆に「お婆、お婆、婆様、あのおー息災におれや、おらぁ先に行くわいや」て言うたら、お婆ぁ泣いて、「爺ちゃん、爺ちゃん、おらもじき行くさかぇ、お浄土に広いがに場を取っておいてくれや」で、お爺に頼んだげと。
  それからお爺ぁ、お婆あ今日くるか、明日くるかと広い場をとって、人ぁ入れてくれて言うても、ここぁおっちゃ婆様のとこやさかえあけてくれて、そう言うては待っておったげぇと。
  そうやけど、いつまでたってもお婆ぁ来んもんで、お爺ぁ阿弥陀様に頼んで 後先十代の娑婆がよく見える眼鏡を借りて わが家を眺めてみたら、荒れ放題で、自分のお骨も墓へ納めんもんで茶の間中にねずみぁかじって転がっておるげぇ。
  あたしを眺めてみるけどお婆ぁ見当らんし、ずうっと探したら山の中の温泉に、一軒おいて隣のお爺と二人して、酒盛りをしてこりゃ、こりゃて唄い、いい案配にしておったと。
  お爺ぁ、食べたいもんも食べず、来世も一緒におるがに銭をためたがに、人間ちゅうもんな薄情なもんやなて歎いたと。
  親と子ぁそうじやないけど、夫婦あそれほどのもんじゃと。