383.左甚五郎の祇園人形

良川     千場 つき

  左甚五郎ぁ江一p時代初めの人ながかね。
  日光の夜泣猫の彫り物とか、木で彫った水仙に花が咲いたとか、京都知恩院の鴬張りの廊下の大工さんやで、飛騨の匠の頭いうて崇められておるわね。
  匠の頭て崇められるようになったが死んでからで、生きておるときはどんだけ仕事を頼んでもせんとって、朝から酒を飲み、食べては、寝とるだらやったといね。それがひとたび「のみ」一丁持つと、後世に残る仕事をしたげぇね。
  その甚五郎が、知恩院の仕事をしているころながか、祇園の遊女に惚れて、寝ても醒めても、夢の中にもその遊女から離れなれんがになって、とうとう遊女の人形を作ったといね。
  その人形ぁ口は動かんげけど、もしもして肩を叩くちゅう話や、京都祇園の宝物になっておるそうや。