336.羽坂の天理教会

羽坂    笹川  梅子・清水  ふさ

  明治の何年ころのがかね、羽坂の四つ辻の近くに天理教の教会があったぎゃわいね。そしたら羽坂の教会やね、羽坂と今羽坂の財産のあった北原鍋吉やとか池上家や町駒家、曽山又四郎や今羽坂の清水家等が何百百かの財産を投じて造ったがやね。
  その教会の建っとった所は元は田んぼやったがを、大勢の人夫で毎日毎日もっこで土運びをしてあの広い地面を理立てたもんや。そして建物も立派なものを建てたぎゃれど、信者が地元になんも増えなんだぎい。奥能登の珠洲郡やら新潟県等に、この鹿島教会の信者がいっぱいできたけれど、地元に信者が居らんもんで、羽坂のこんな所じゃ不便でどもならんちゅうて、金沢へ教会を移すがになってしもて、羽坂の教会の建てもんな(教会の食堂)末坂へ移転したし、庫裏の建物が志賀町の代田の寺へ移ったし、山門が二宮の寺へ行っとるて聞いとる。また、本堂の建物んな曹洞宗の総本山、横浜の鶴見の総持寺の庫裏になっとるて聞いとるがいね。
  金沢へ移った教会は鹿島教会ちゅうがで、今羽坂の清水家の子孫の人が教会の親方をしとってやわいね。