322.七尾のデカ山と人身供養

川田    守山  裕美子

  むかし昔、中国から渡ってきた三の猿が、七尾の山王さんにいたわけやね。この猿が田畑を荒らすということだけじやなくて、一年に一回若い女の子を人身御供に上げなければ大変だと言われておったわけやね。それで娘を持っとる家に白羽の矢が立つわけやね。
  そうしると、年頃の娘を持っとる親たちはね、毎年「自分の娘があたるか、自分の娘があたるか」って、戦々恐々としてかって過ごしておったわけやね。そしてそれまでに、何人かは人身御供に出したわけやね。そしたらある時、正直な夫婦の娘さんに白羽の矢が立ったわけやね。そしたらそのお父さんは、何とかして人身御供に出したくないと、それで何かいい方法はないかと夜になって山王神社の縁の下へ入って、夜中になるのを待っていると、三匹の猿が出てきて、縁の下に人間が居ることを知らないで、「我らが越後のしゅけんに叶わないことは誰も知るまい」と、そう言っているのを聞いた娘のお父さんは、越後のしゅけんに会ってお願いしにゃ絶対助からんということで、旅支度をしてしゅけんを探しに出かけるぎい。
  毎日毎日歩いて氷見の山を越えて、ある時はすすきの野原を通ったり、ひどいところを通ったりして、それこそ夜も眠らず歩くぎゃね。
 そして五月十三日までに人身御供に出さんならんことになるもんで気があせるばっかりのぎゃね。
  そして山の中を回って歩くと、五月十三日の午後になって、すすきの生えたなんとなく神々しい原っぱへ出るぎゃね。そこは普通のところと違うぎゃわ。そこで「もしや!」と思って「しゅけん様アーッ」て叫ぶぎゃね。そしたら真白の大きな大が出てきて、娘さんのお父さんは「貫方様がしゅけん様でしょうか」て聞いて、そして「助けて下さい、これこれのことで、山王神社に三匹の猿がいて人身御供に毎年上げるがで、今年は自分の娘が今夜の十二時にそこへ連れて行かんならんぎい」て、そして「助けて下さるのは貴方様しかないと聞いたので幾夜も寝ずにここまでたどり着いたがです」ていうぎい。
  そしたら、引き受けてくれるぎいね。そしてそのしゅけんが、そのお父さんを背中に乗せて一目散に走るぎいね。そして人身御供にする箱の中へ娘の変わりに入って山王神社の前へお供へされたわけやね。
  そして町の人たちは、戸を閉ざして鍵を掛けて絶対に開かんがにするわけや。そして夜中になって風がとュウ、ヒュウ鳴りだして山王様のもりがザワザワ、ザワザワと鳴りだすわけやね。そうするとみんななりをひそめとるぎい。ほうしると一層嵐がつようなって、そしてキャン、キャンちゅう叫び声が聞こえてきたぎい。そしたらみんなその晩はまんじりともせずに、七尾の町の人たちは夜を明かすわけや。
  そして夜が明けると同時に、山王神社へ駆けつけるぎいね。そうしるとそこには、血にまみれた三匹の猿としゅけんが倒れとったぎそこでその後に、猿のたたりがあってはだめだということで、猿の慰霊のために山車を造って奉納するようになったぎいと。魚町と府中、鍛冶町の三台でとるわね。
(大成256「猿神退治」・通観62「猿神退治・犬援助型」)

(類話)

良川    千場 つき    一青  延命  はつ    春木   北原  末吉

(参考)

山王社の人身御供

(鹿島郡誌より)

  昔七尾の山王社にては毎年みめよき町内の人身御供に上げしが、成年白羽の矢は一人娘の某方に立ちぬ。娘の父は何どかして救う道もなきかと娘可愛さに身も忘れ一夜社殿に忍び入り息を殺して様子を窺いしが、丑満つ頃ともおぼしきに何ものともなく声のするに耳を立つれば、若き娘を取喰うべき祭の日も近づけるが越後の「しゅけん」とてよも我の此処に在るを知るまじと眩きしなり。娘の父は夢かと打喜びしゅけんの助けをからんとて、急ぎ越後に赴き此処彼処尋ね求めしが何等の手がかりもあらざりき。今は望も絶えたり泣く泣く引き返さんとせしが、山にしゅけんと呼ぶものありと聞きせめての心くばりにと其の山に分け入りしに、全身真白なる一匹の狼あらわれ此のしゅけんに何用ありやと間う。娘の父は喜の涙に声ふるわせながら事の次第を語り何卆娘の生命を救いたまえと願いしに、しゅけんは打うなづき、久しき以前外つ国より三匹の猿神此の国に渡り来り人々を害せしにより我れ其の二匹を咬殺せしが、所在をくらませし残りの一匹が程遠からぬ能登の地に隠れ居しとは夢にも知らざりき、いで退治してくれんと諾いぬ。娘の父は更に祭の日の明日に迫れるを如何にせんと打嘆けば、悲しむなかれ我明日おん身を伴い行かんと波の上を飛鳥の如く翌くる日のタ方七尾に着きぬ。かくてしゅけんは娘の身代わりとして唐ひつに潜み夜に入りて神前に供えられぬ。暴風雨の祭の一夜格闘の音物凄く社殿も砕けんばかりなりしが、人々如何にと翌朝打連れ行きて見るに年古りたる犬猿朱に染まりて打仆れたるが、しゅけんも冷たき骸を横たえぬ。かくて人々しゅけんを厚く葬りし上、後難を恐れ人身御供の形代に三匹の猿に因み三台の山車を山王社に奉納することとなれりと。車の人を食うといわるる魚町の山車は此の山王社に人身御供を取りし猿にあたれるものなりと伝う。