310.廿九日
新庄、在江村と同じく「一青新荘」の村々であったから新開拓地で、地名の由来として、耕地開発当時に農業用水として樋が敷設されたその末端の村として「樋詰」から地名が起こったのでないかという説、また、開拓期に荘司が開拓の様子を調べに来た日が月の終わりの日であったので、日がつまることから「ヒヅメ」と付けたのではないかとか、もつと古く越蘇郷院内の住人の馬場で蹄の跡がいつも残っていたことから「ヒヅメ」の地名が付いたと語る人もいるが不詳である。
廿九日の地名
廿九日 北原 栄古
廿九日の名についてはいろいろあるが、昔このあたりが荒れ地であったころに馬の蹄の跡が多くあったことによるという話と、廿九日と書くのは、昔は三十日が一ヵ月やったわね、そしたらもうあと一日で月が詰っとる、もう一日で月が終わりやと、そういうことで名前を付けたという。
また、貧乏人ばっかりで、もう日が詰まってしもうてもどうにもならん、金持ちのおらんところでそういう名になった。
昔は、在江の在所の財産持ちの人の荒れ地やったところのがで、少しづつ開いて田んぽにしたり畑にしたぎるいね。
廿九日の地名
廿九日 北原 よしこ・守山 なつい・亀野 ヨシ子
村の名前を決めるというおふれが出ていたのやけれども、いつまでたっても決まらなんだら、日や詰まってきてしもて二十九日になったもんで、「ヒヅメ」(廿九日)ちゅうがになったぎとも言うし、昔、侍の馬場があったもんやさかい、馬の蹄の跡がいつもあったもんで「ヒヅメ」の名が付いたちゅう話もあるわね。