308.春木

  平安初期に(承和十年、八四三)能登の国司として「春枝玉」が任命されて、春木に館をもつたので、そこから「春木」の地名が付けられたというが不詳である。しかし「朝倉始末記」に永正元年九月(一五○四)に「能州はる木」の斉藤氏に越前朝倉元景が亡命したとあるから、中世ではすでに「春木村」と呼ばれていたことは確かであり書類の上での初見である。