304.一青

  二宮川・長曽川の複合扇状地の末端部で邑知地溝帯の分水界にある地区で、この他は古くは、湖沼であって志止止という霊鳥が群捷していたという,鳥の毛色が青いことから「あおひと」ともいい、「一青」の二字をあてて「ひとと」と呼ぶようになったと伝えられているが不詳である。
  中世、平安末期には一青荘として荘園名にのせられている。よく松本久一が、かつて天皇の領地であったと言うのであるが、これは保元の乱で敗死した、左大臣藤原頼長の領地であったのが後白河院の領となったなかに「一青庄」とあるのが史実としての初見である。いずれにしても、一青荘内の中心部が一青村であることは間違いない。(気多神社文書)