302.良川

  古い記録では「良河、吉川」とも書かれている。地名の由来については定かでないものの、地内の白山社に流れる清い川から付けられたといっている。中世鎌倉期には荘園名に「良河院」としてあげられている。なお小字として地頭の地名があるが、これは良河院内地頭分の地の名残であろう。近世においては良川村となっている。
  また一説には往古、この地域は長曽川(濁り川)が大小の湖沼をつくり「よし」などが生え繁っていたもので、「葦の川」に由来するという、地形の上からみた考え方をする人もいる。

良川という地名

良川    千場  つき

  良川ちゅう、こんな山の低いところに、手にすくって飲むようなよい水の出るところはどこにもないといね。
久門サの横へも落ちる、大川さんの横へも落ちる、安養寺様の横へも落ちる。まだまだあっち、こっちに清水がある。こういう低い山に、ものの百メートルか二百メートルほどごとに、きれいな川があるとこあないわいね。そんで良川てついたげと。
  私とあんたはヨシ川なれど
  邪魔をするわね二ゴリ川
  それより悪いのはヒル川で
ちゅう唄があって、すぐ下流が二ゴリ川とヒル川や。

「沖」という地名

良川    鈴木  章

  沖という地名やが、地頭が昔しや中心やったさかい、地頭から見たらおらちのとこは、邑知潟の沖合いやったもんで、良川沖としたげいろ。西馬場にも沖馬場というところがある。あの東馬場に近いほうを言うわね。井田に船塚があっさかい邑知潟も広いもんやったげろ。沖でも畑のあるへんを貝塚というとっさかい、潟のしじみでもとって食べて貝塚ができて地名みたいがになっとるね。 沖も、昔しや三十軒ほどしかなかったが、駅ができてから駅前を中心にぐんぐん増えて、今は二五十軒あまりもあるわね。
(良川駅のできたのは、明治三十四年である)