206.旅学問

良川    千場  つき

  むかし、山の村のだんなに、だらな兄んさがおったとお。だんなは、あんまり勉強ができんちゅうと恥ずかしいもんで、上方の京都へ勉強にやったきとお。
  そして、一番始めに二・一テンサクの五て習うたもんで、お父とに聞いたぎと、二・一テンサクの五ちゅうがなんのこっちゃて、
「そりやわるこっちゃ」と言うたぎい。そしたら、わることを上方では二・一テンサクの五と言うげと思った。
  そして、また歩いとったら、スッカラカン、スッカラカンと行者が下ってきたもんで、ありや何んじゃと聞いたら、
「ありゃ行者さんが、いま道を下るところがで」と言ったので、下ることをスッカラカンと言うげと思った。
  つぎにでかい石があったといね。ほしたら字、読まれんもんで、こりや何じやと聞いたら、
「これはナムアミダブツちゅうげ」と言うたもんで、ははん大きい石のことを、上方ではナムアミダブツと言うげと早合点した。そして、また歩いとつたら川に赤い布を流いとったもんで、
「ありや何じゃ」と聞いたら「ヒヂリメンや」と言うたげちや、いよいよ新しいことを勉強したと喜んでおったげちゃ。
  おしまいに、ある家へ行つたら、お茶菓子に羊羹がでたと、そしたら、こりや小豆みたいやが、何ちゅうがか聞いたら、羊嚢ちゅうたもんで、山の村では小豆ちゅうがを、上方では羊嚢と言うげと勉強して家に帰つてきた。
  家へ帰ると、家の回りに黒だかりの人のぎちゃ、見てみっと、ひとり息子あ、柿の木から落ちたぎいといね。さつそく里の医者へ行つて薬をもろてこんならんもんで今こそ、上方で勉強してきたがを、医者に言わんならんと思うて、紙に書いたげと。
「うちの息子が、羊嚢畑の柿の木から下向して、ナムアミダブツに頭を二・一テンサクの五で、ヒヂリメン一升五合、薬いつぶくスッカラカン」と書いて医者へ持つていつたちゅうが、医者なんも薬くれなんだとお。
(大成318 「旅学問」・通観339「旅学問」)

(付記)

旅学問

  旅先でとり違えて覚えてきたことばを、そのまま間違えて使う笑話。京や江戸などに出かけて覚えたことばを、医者への手紙に使う例が多い。
  少し足りない息子が、いい言葉を覚えてくるように家の者に言われ京へ出かける。商人がそろばんをはじくのを見て、二つに割ることを二一天作の五と覚える。川に染物の赤い布を流していたので赤いと言うことをいと緋縮緬、殿様の行列を見て上がることを上洛、下ることを下向と覚える。
  家へ帰ったら隣りの人が柿の木から落ちて頭を割って血だらけになる。
  息子は医者のところへとんで行き「隣の人が柿の木に上沿いたし、羊かん畑に下向つかまつり候。頭は二一天作の五、緋縮緬」と言ったが医者はなんのことかわからなかったという話。
  愚か村話として語るところが多い。赤いことを朱膳、朱椀、稲荷の鳥居、また、もらうことを「巡礼にご報謝」などと覚えたという例もある。