139.姥捨山

瀬戸    笹谷  よしい

  むかし、六十になったら、使いもんにならんさかい、山へ持っていって捨てることになっておったと。年寄りたちもそういうもんだとあきらめておったがや。
  あるとき、ことし六十になる父つさまをしょつて息子が山へ捨てに出かけたげ。お上の規則やし、捨てりゃいとしいし、と思いながら担いでいった。すると背中でピシリ、ピシりという音がするもんで、息子は父つさまをふり返り、
「父っさま、何しとるぎい」と聞いた。
「なっともね、木の枝を折って捨てとるげえ」と答えた。おかしなことするなあ、と思ったが、そのまま山をどこまでも登っていった。
  このあたりと思うところで父っさまをおろしたと。
  さあ、帰ろうとしたら日も暮れて道もわからない。父っさまはにこにこしていた。
「どうしとるがい、おらをおいて帰っこっちゃがい」
「道がわからいで、帰れんげ」
「そんなこともあっかと思って、おら道々木の枝を折っては、落として来たがや、それを目当てに帰れ」
「じゃあ、父っさま、あの木の枝を折ったのは、おらのためやったがか」息子はびっくりして、そんなこっちゃったかと、熱いものがこみあげてきて、急に泣けて、どうしても父っさまを、このまま山に置いていく気になれなくなったげ。
「父っさま、おらと帰ろう。おらどんなにしても父っさまを養うさかい」
「何を言う、おらを山に捨ていかねば、殿さまからどんな罰くわされっかわからんぞお、おらのことはかまわんと、とっとと家へ帰れ」それでも息子は、どうしても父っさまを置いていく気にはなれず、またしょつて、落としてきた木の枝をたよりに家にもどったと。
  もどるにやもどったが、見つかれば規則違反じやさかいえらいことになる。人目に出せん。そこで床下に穴を掘って、父っさまをそこに隠した。そして三度の食事をあげて養うたと。
  ある日のこと、殿さまからおふれが出た。なんでも隣りの国から難題かけられたということで、どんなげちゅうたら、あのう「灰の縄をのえ」と。それから「ほら貝の口から、しりに糸を通してまいれ」、「とぽの元末をあかせ」と三つの難題がかけられたがで、これができた者には、望みのものをくれるという。ところが誰れひとり解ける者がおらんし、殿さまもこれが解けねばえらいことになる。すると息子は父っさまに聞いた。すると父っさまは
  「なぁに そんなもんなんでもねぇ 藁をよおく塩水でしたしてから、縄をなうのだ。それをそっくり焼いてさし上げれはよいのや」それから「とぼは小さいもんやさかいに、水の中へ入れて、浮かしてみりや、元がさがる。ちよっとでもさかったところが元や」
  三つめは、といってしばらく考えて、「蟻を一匹つかまえてこい。それから糸と蜂蜜を持ってこい」といいつけた。息子がいわれたものを持って行くと、父っさまは蟻を糸でしぱって、ほら貝のしりに密をぬって口から入れた。蟻は密をほしがって行くもんで、みごとに糸が通ることを教えてもらったげちゃ。
  そのとおり息子は殿さまに言うて出たら、殿さまはすっかり感心して息子をほめ上げたが、それは自分が考えたことではなかろう。だれから教えられたかと、殿さまが問いつめたと。息子はためらっていたが、ほんとのことを言うてしもたがやと。
「申しわけありませんが、父っさまを床下に隠しておきました。あれもこれも、父っさまに教えてもらいました」と。これから父っさまを大事にしてくれと、でかいことほうびをもらったと。
  それから年寄りはたいせつなもんやということで、国じゅうにおふれがでて、六十になっても捨てんでもいいがになったと。
(大成523A 「親棄山」・通観19「姥捨て山・枝折難題型」)

(類話)

羽坂  辻井 吉松   黒氏  平野 すず子  良川  山本 いと  一青  林 ふみ子・延命 はつ  

「類話」1

姥捨て山

良川    千場 つき

  むかし、六十歳になったら年寄りを捨てんならんというきまりになっとったと。そしたら親孝行の息子が親をいとしゅうて、捨てることやあもんで、姥捨て山への道ずっと、木の枝を折っては目印にして、山の絶頂に親をおいて、その目印しどおりに帰ってきた。そして、次の日からまだ暗いうちに起きては、目印しをたよりに婆ばの所へ食べ物を運んどったと。
  ある日のこと、殿様からおふれが出たき、「乳に庭をはけ」ちゅうがから、「紙に火を包んで持ってこい」ちゅうがと、「灰に縄ぬうて持ってこい」ちゅう三つの難問が出された。これに答えられる者がいないか、できたらほうびをつかわす。というのであったが、誰れも考えることができなんだき。ほしたら、この息子が、姥捨て山においてきた婆ばに問うたら、縄をぬうたがを、そおっと燃やしゃよいし、紙に火包んで持ってこい、ちゅのは、提灯に火をともして持って行け、それに、もう一つは乳の頭にワラを縛って、庭を掃くとよい、と言って教えてくれた。
  この三つを持って殿様の所へ行ったら、そんなはしかいもんな、誰れやちゅことになったぎや。そしたら姥捨て山に捨てた母親やとわかった。年寄りの知恵ちゅうたら、そんないい知恵をもっとってやちゅことで、姥捨て山のきまりがなくなったと。
(通観20 「姥捨て山・難題型」)

「類話」2

姥捨て山

春木    小谷内  勝二

  おらちほどの年のいったもんないらんもんで、姥捨て山ちゅうてその山へ捨てることになっとったとい。
  ところで親爺も年がいったので、邪魔になるようになったもんじゃさかい捨てにいくがに、青竹で立派な籠をこしゃいて捨てに行ったと。そしたら家内の人あおって、
「おまえ、あんなた、そして籠をこしやいたが、どうやい、こんた誰れや、これに放らんならんようになるがいやあ」ちゅうたら、
「こしやいたもんな行かんとって、誰れが行くいや」と息子が周りの人から言われたと。
(通観21「姥捨て山・担き棒型」)

(付記)

姥捨て山

  老人を山に捨てていたという昔の風習を内容とする昔話。
  日本昔話集成では巧智談に属する笑話となっている。
@親棄てもっこ型A難題型B集成(523D)の老婆致富型C集成(523A)の枝折り型の四型に細分されているが、今回の採集ではAとCを聞くことができ、しかもこれが複合された形となっていた。
  ちなみにAの難題型では、殿様が老人を嫌って捨てるように命令されており、老人を捨てない者は罰を受けることになっていた。ある孝行息子は親を捨てることができず、床下に隠して養っている。ある時、敵国から知恵を試すために難題を言ってよこすが、誰もそれを解くことができない。難題を解く者には望み通りのほうびをやるとのお触れが出る。孝行息子はその話を親にすると、親は難なくその問答を解いてしまう。息子が殿様に申し出てほめられ、ほうびの代りに親を捨てなかった罪をゆるしてもらう。殿様も老人の知恵に感心し、以後老人を捨てないよう命令した。
  Cの枝折り型は、殿様の命令によって親を山の奥へ捨て行くことなって、親は息子に背負われ行くが道で小枝を折って落していく、そのわけを尋ねると、お前が帰りに道に迷わぬようにするためだと言う。その親の子を思う慈愛に感動して息子は再び親を連れもどって隠しておくというもので、そのあと難題型の話が続けられる。