126.継子の釜湯で

末坂    三野  喜美子

  むかし、あるところにふたりの男の子がおった。次郎は継母の実の子で、ひとりは継子の太郎やったと。
  あるとき、父とがどうしても外へ行かにやならんようになってしもたもんで、
「おらのおらん間も子供どもかわいがっとってくれやあ」と言うて行ったがやと。子供には
「とおちゃんのいない間も、ふたりは、仲ようしとれよ。ふたりのみやげに笛と太鼓を買うて来るさかいで」といい残して、長い旅に出たげ。
  継母は、継子の太郎がにくくてならず、父とのるすをよいことに、実の子の次郎には綿入れを着せ、継子の太郎にはかや(萱)のはいった着物を着せ、ことごとに継子をいじめとったといね。 継子の太郎がそれがつらくて、とおちゃんに会いたい、とおちゃんこんかあと泣くので、ある日のこと、継母は大釜にくたくたと湯をわかし
「おいおい、太郎よ、この釜の上にあがれや、高いところに串柿がつってある。あれとって食べや、まいぞお」といって、釜の上に梯子をかけてあげさせた。その梯子を上ったところで、後ろからどんと突き落とした。
「キャアー」言うて釜の中へ落ちてしもうて、えびみたいに赤なって、死んでしもうたとお。継母は太郎を引きあげて、裏の畑へ埋めてしもたがやとお。
  お父っあんそんなこと少しも知らんもんやさかえ、帰ってきて、太郎あおらんし、後妻の継母に聞いたら、どっか遊びにいったんかなんも帰ってこんげと言うたとお。裏の畑へ行ったら、何やら土盛ってあるもんで、何やろか思うて掘ってみたら太郎やったとお。それを見た父とは、腹立て後妻を出いてしもうて、 一人後世願いになったと。
(大成219「継子の釜茄」・通観137「継子の釜ゆで」)

(付記)

継子の釜ゆで

  継子を釜でゆで殺す話。
  子供を二人をおいて妻が死ぬ。後妻は子供をにくむので、父が出かけるとき、子供たちをかわいがってくれと念を押す。継母は子供に、町へ行ってみやげを買ってくるから釜に湯を沸かしておけと命じ、もどると、みやげを釜の上に吊し、上がって取れと言う。子供が釜の中へ落ち、死ぬと継母は子供たちを引き上げて、裏庭に埋める。帰宅した父は、子供たちをさがして裏庭に出てみると、土盛りがあり、掘ってみると子供たちの死体なので、後妻を追い出し、仏教信者になった。