125.継子と妙り豆

良川    千場  つき

  門前の総持寺というでかいお寺へ行くちゅうと、しゃもじとすりこぎがつってあるわいね。
  それあ、あるところに、先妻の娘とわれの娘とおったげ、ほしたら、娘らに田んぼの畦のもんさせにやったげちゃ。畦に豆をうえるげえ。
  われの娘に生豆持たせ、姉の子に妙った豆を持たせたげえ、そうしたら、継子の植えた妙り豆は、はえるはずがない。そやけど一粒だけはえたげと、妙り豆の中から一粒ねえ。
  その一粒はえだ豆が、どんどんでかなって、天までとどくようになったげちゃ。豆もなるわ、なるわ、千石もなったといね。飯山から山の方へいったら、千石ちゅう在所ああるわいね。あの在所の名前は、千石の豆の木からついたげとお。
  われの娘や、当りまえの豆しかできなんだがや。
  継子の豆の木で、しゃもじとすりこぎをこしゃいて、総持寺へあげましたげえといね。
(通観41「豆がら太鼓」)

(類話)

瀬戸    笹谷  よしい

(付記)

継子の妙り豆

  継母がなんとかして継子を追い出す口実を作ろうと、継子にはいった豆、実子にはなまの豆を渡して畑へ植えにいかせると、二人とも土に穴を掘ってていねいに植えてくる。だいぶ日がたってから母親が畑へ見にいくと、実子の豆は芽を出したばかりなのに、継子の豆は何尺も伸びており、みるみるうちに太鼓の胴ほどもある大木になり、村が陰になるほどである。秋の取り入れをすると、豆は千石にもなり、村人が木を切り倒して、その豆がらで太鼓の胴をつくったらよい金になる。その一つが今でも門前の総持寺にあるという。
  笹谷よしいは、語りの内容は同じであるが、結びにそのすりこぎが、越前の永平寺にあるといっている。