109.わしのさらい子

良川    千場  つき

  むかし、ある村に、幼い子供と母親がおったと。男の子やったがその子が生れると、すぐに夫に死なれ、母親は子供をつれては仕事に出かけとった。細そぼそとくらしをたてておったが、わが子が無事に育つようにと、西口三十三番の観音さまのお守を、男の子の着物のえりにつけてあったげ。
  あるときのことやわね、田んぼの辺りに子供を寝かせて、いっしょけんめい田んぼの仕事をしておったぎと。にわかに空が暗くなったと思ったら、急に子供が火のつくようなさけび声をあげたと。ふりむいたら、一羽の大わしが、わが子をつかまえて飛んでいってしもたとい。
  母親は身仕度をして、わが子をさがす旅に出たげ。あちらの国、こちらの国と旅をしていたがわからない。十三年もの旅を続けたといね。もう乞食みたいになってしもて、大和の国までやってきたと。
  その峠の茶屋で一休みしておって、茶屋の婆さんとの話に「奈良の三日月堂の杉の木に、小僧が、毎朝まいらんことにや、朝のおままも食わんちゅう話や」こんな話をしてくれたと。
「そりやまた、どうしてや」と聞いたら、
「その小僧はの、杉のてっぺんから生れたそうや」と。
それを聞いた母親は、もしやと思うて、三日月堂へ向ったと。
  日暮れどきようやくたどり着いたが、なんとりっぱな寺やったげわ。夜のうちに庭へしのびこんで、夜の明けるのを待っていたと。朝になると、十四・五にもなる小僧が出てきて、杉の木の前におまいりをしておったと。
  どうみてもわが子のようや。母親はなりふりかまわず飛び出して小僧に抱きついたと。その声に驚いた和尚さんは
「そんなら、おまえの子だという証拠があるかいの」というたと。
  母親は泣く泣く、十三年前、わしにさらわれた子供の着物のえりに、西国三十三番の観音さまのお守りを縫い込んであることを話したげ。
「おお、そのとおりじゃ、よく、ここまでたずねてきてくれた」
  和尚さんが奥から小さな着物をとり出してきたら、母親のつくった着物だったし、観音さんが入っとったげ、母親もこの寺に住んではたらくことになった。
  小僧は修行して、世に名の知れた坊さんになったと。
(大成148「鷲の育て児」・通観111「鷹のさらい子」)

(付記)

鷲の育て子

  親が赤児をつれて田畑で仕事をしているうちに、鷲に赤児をさらわれる。
  赤児は森の木の梢で育てられ、後に名僧となって、尋ねて行った母と再会する。一般に東大寺開基の高僧良弁僧正の幼児の逸話とされている。また歌舞伎では義太夫「二月堂良弁杉由来」に演じられている。