16雀孝行

廿九日    守山  なつい

  むかし、雀とキツツキは姉妹やったそうな。雀はくりくりよう働 くし、キツツキはしゃべってばっかりおった。
  ある日のこと、二人が並んでお化粧しておると
「おっかさんが病気で危ない、今にも死にそうやさかいすぐ来てほしい。」という知らせが来た。
  雀は驚いで、お化粧もやりかけのまま、着ているものもそのままで、おっかさんの死に目に会われんちゅうて急いで走ったといね。そしたらおつかさんの息のあるうちに会うことができた。キツツキのほうは
「なんぽなんでも、お化粧のやりかけのままじゃみっともない」と言って、きれいにお化粧し、着物も着替えておしゃれをして出かけた。そのため着いたときにゃ、おっかさんはもう死んでしもとったと。
  お釈迦様がそれを見て、雀に、お化粧つけさしでも親の死に目に会いたて走ってきた。親を大切にしたから
「お前には、何でも初物をやっさかいにお前の餌にしてやる」と言われたもんで、稲の穂が出りゃ新米をひと先に食べられるげと。キツツキは、親が今にも死にそうやというとるがに、おしろいつけたり、口紅つけたりしてだてこいとった。キツツキは親よりおしゃれが大事なのなら、いつもきれいな着物を着ておれ、とお釈迦様が怒って
「お前や木の虫でも取って食べとれ」と言われた。それからちゅうもんな、キツツキはきれいなよそ行きの格好をしておるが、いまだに昼は木を突いて、木の中に虫がおらんか探してはやっと食べとるんやて。そして、宿も自分で木をつついて穴を掘って休むよりしょうがないげと。そやさかい、夜になると
「くちばしや痛い、くちばしや痛い」と言って泣いとると。
(大成47A「雀孝行」・通観536「雀孝行」)

(類話)

瀬戸    池島  つや    春木    小谷内  勝二

「類話」

お釈迦様と雀、犬、猫

良川    千場  つき

  雀と犬と猫ぁ、何を食べてどこで生活すれぁよいか、お釈迦様のとこへ相談に行ったげぇと。
  雀ぁ、一番先にお釈迦様のとこへ行って、私ら何を喰うたらよい かと尋ねたら、お釈迦様あ「雀や、お前ぁ可愛らしい奴やな、一番先に来たさかえ、なんでもつかえん、物の法則や、初もんを食べや」て言われたげ。
  こんど犬ぁ行ってお尋ねしたら「お前ぁ可愛らしいさかえ、人の余りもんで貰ろうて食べや」ておっしゃられ、ほして、生活ぁどこにすれぁよかろうかとお尋ねしたら「家の軒下か、せいぜい土間やなぁ」と言われたげぇと。
  その次に猫あ行ったけぇちゃ。猫ぁ可愛らしい三毛描で、二ャグ、二ャグて鳴きながら行ったら、お釈迦様ぁ「お前ぁ人間ちゅうもんなおるが、人間界に生まれ出るにぁ六道を通らんならんげけど、実ぁお前ぁ、一番人間に近いもんで、人の余ったもん食べて家の中に生活せいや」て猫におっしゃつたげと。そうしたら猫ぁ二ャグ、二ャグと喜んで、今日が日現在まで、家の中で人のそばにおる。
  人間な、一度死んで再び人間になるには、地獄、畜生、修羅、犬に三代、猫三代、犬馬鹿三代、馬鹿三代それを六道輪廻て言うて、その六道輪廻をかけめぐらにぁ人間界へ出られんげと。
  人間な地獄へ落ちると、次に牛三代、馬三代と畜生界の六道をめぐるげと。牛やと、骨、肉を人間の食べもんにしておる。馬になると肉を少し食べるが、人ぁちょっこり嫌がる。犬になれぁ、まだまだ嫌がる。猫になれぁまだ嫌がるわ。だんだん人間に近くなるもんでやちゃ。

(参考)

雀と猫

(鹿島郡誌より)

  お釈迦様が涅槃に入らせ給いしとき、上は仏菩薩より下はミミズに至るまで沙羅双樹の下に集い泣き悲しみしが、雀は其の知らせのありし時お歯湟をつけいたりしに口を拭う暇もなく駆付したため今も喀のあたりに黒くお歯湟の痕残れりと。
  其の時性悪な猫はお釈迦様も死なれたかとお弔いにも行かず不精にも居眠りを続けしが、其の罪にて未来永劫成仏は出来ずという。

(付記)

雀孝行

  小鳥の姿や習性の由来を語る動物昔話。昔、キツツキと雀は姉妹であった。親が危篤だという知らせを受け、妹の雀は、やりかけの仕事もおいて、急いで親のところへかけ着けた。そのかいあって親の死に目に会うことができ、孝行ができた。一方姉のキツツキは、知らせを受けるとゆっくり身づくろいをしてから親のところへ行ったら、もう親は亡くなっていて孝行をつくすことができなかった。
  神様は親孝行な雀に一生五穀を食べて暮らすことを許し、親不孝なキツツキには、その罰として五穀を食うことを許さなかった。雀は姿は美しくないが食べ物に困らないし、キツツキは姿こそ美しいが食べ物をとるのに、木の皮をつついて虫を探して食べねばならないという話。親の死に目でなく、釈迦の臨終のときとする伝承もある。
  この昔話は雀とキツツキの習性と姿が、それぞれ前生の行いによるものであると語っていることから、親孝行は子としての務めである。それをつくすことによって来世の幸福につながっているという処世についての心得に置き換えて教えている。